2021.10.24

エッセイ

静的な人生の罪

大抵の「やりたいことがない人」を、僕はあまり好きになれない。別にその人を責めているわけではなく、単純に「分かり合えることが少ないから」というのがその理由である。

この世界は、人が思うほど捨てたものじゃなくって、それなりに興味を持って向き合えば、そこそこに自分を魅了するもので溢れている。実際に、それが人を行動させて、気付いたら「やりたいこと」になっていることがほとんどなわけだが、要するに「やりたいことがない人」は「あらゆることにそれなりの興味を持とうとしていない人」であるように思えてならない。

勘違いしてほしくないのだが、僕は何事にも興味を持って飛び込め!なんてことを言っているわけではない。実は多くの場合、何かに興味を持つことの根本的なきっかけは、「それが面白く感じたから」ではなく「それを通じて自分か〇〇な人間になると〇〇できるはずだから」である。例えば僕の場合、起業に興味を持ったのは「学校と接地面のない場所で結果を出すことで、学校の人たちからすごい人だと思われたい」という欲求から「起業ならそれが実現できそう!」と思ったからであり、「起業って最高に楽しい!」と実感するのは、実際に起業してだいぶ経ってからのことである。

要するに、誰かにモテたいとか魅力的に思われたいとか、そういう人間の根源的な欲求が起因して「やりたいこと」は見つかり、それを実行する過程で、最後にそれ自体が興味深いものであると実感するようになる、ということである。

さて、ちょっと長くなってしまったが、もとの話に戻すなら、僕が思うに「やりたいことがない人」というのは、「モテたい」とは思いつつも「今この瞬間」がそれなりに楽しくて、実はそこまで「モテたい」と思っていない場合と、そもそも根本的に「モテたい」欲求を持ち合わせていない場合の2タイプに集約されるはずだ。本当にモテたいと思っているなら、それなりにこれを実現できるだけの”手段”を探すはずで、それがバンドマンになるとか起業家になるとか高給取りな仕事に就くとか、そういう「夢」を持つことに繋がる。そして、例えば音楽活動に「モテそうだから」という理由で「モテるため」にバンド活動を本格的に開始して、武道館に行ってやるからなぁ!!とライブハウスで声を上げるようになると、気付けばそれが「やりたいこと」になっている。バンドまじ楽しいっす、そう言えるようになっているわけだ。そして楽しそうに音楽を突き詰めていく姿勢は評価されて、見事「モテる」ようになる。目標達成、というわけだ。そして、音楽に触れる過程で音楽そのものへの興味はすくすくと育ち、それはバンドマン人生を継続させるエンジンへ変わる。

一方で、そのバンドのことが大好きで、アルバムをイヤホンでループ再生しながらスマホのタイムラインをスクロールしつつもう一方の手でエナジードリンクを飲むような人もいる。そんな「やりたいことがない人」について言及するなら、そもそもこの人は結構”満たされている”んだと思う。僕だったらそんなことをしている自分にブチギレて、2日ほど自己嫌悪に陥った末にまた起業してると思うし。だって部屋でイヤホンしながらスマホ片手に飲み食いしてても魅力的じゃないもん。そんな毎日を送っていても全然「すごい人になりたい」「モテたい」なんて欲求は満たされないし、しんどいだけだもん。僕はとても耐えられない。

しかし、現実は世の多くの人々がそんな毎日を送っているのだから不思議である。だから「この人たちはもう満たされているんだ」と捉えることでしか、僕は納得が行かない。やりたいことができているなんて羨ましいです、と言う人、やりたいことがないですと言っている人、大丈夫。多分あなたはもう結構満たされているのである。実際問題、振り返ればあなたの人生は、毎日が結構楽しいのではないだろうか。だから「やりたいことをやらなきゃいけないのかな」なんてことは感じなくていいし、仕事をしつつ自由な時間にイヤホンしながらスマホ眺めて好きなもの食べる生活をすることは悪いことじゃない。社会貢献しながら自分の自由を確保して、その間に自分の好きなことをしているのだから、何も負い目を感じることはないのだ。これは僕の本音だ。

どうしてこんなに言葉が長くなってしまうのか、自分でもびっくりしているのだが、まだ話は核に到達していない。

僕は冒頭「やりたいことがない人」を好きになれないと述べた。これは結構暴力的な発言かもしれないけれど、これには理由がある。

断言しよう。やりたいことをするのは、とても怖いことだ。そして、その怖さの原因は「やりたいことがない人」の存在である。

やりたいことをして生きていない人は、やりたいことをして生きている人に嫉妬をして、自分たちがマジョリティーであることをいいことに、その人を「変わり者」だと批判したり、その人にしつこい非難を浴びせる。やりたいことなんて見つからないよな、自分たちは間違っていないんだよな。そんな「正当化」を目指す人たちのせいで、やりたいことをして頑張って歯を食いしばって苦しんで、眠れない夜を一人で背負い続けているマイノリティーはもっと苦しい思いをする。「やりたいことがない」人は、やりたいことがある人の夢を壊している。自分を信じるしかないのに信じて行動するのが怖くて、でも行動しなきゃ成し遂げられないことがある。そんなジレンマに途方もなく苛まれて過ごす人生を、「やりたいことがない人」は経験したことがないのだろう。しかしはっきり言おう。そんな浅くて薄っぺらい人間に、やりたいことをしようと汗水流して毎日を生きている人たちを邪魔する権利なんてどこにもない。自分が満たされて人生を持て余しているからって、いつまでも満たされない他人が、時間をかけて自身を満たしていく様子に嫉妬を覚えて口を挟むなんて最低だ。

…熱くなってしまったが、最後にもう一つだけ悲しい現実を言おう。すでに書き殴ったことだが、実は「やりたいことがない人」の嫉妬を生んでいるのは、紛れもなく「やりたいことをしている人」なのだ。そして、この両者が「すでに満たされている人」と「まだ満たされていない人」という関係に置き換えられるのだとしたら、本当の主悪の根源は、二人に共通した「人生」という静的な長さである。満たされるまで続き、満たされたら終わる。人生の長さがそんな「可変」であったなら、誰も苦しむことはなかったのだろう。

村木 瞬Shun Muraki
Web Designer

Neutral between linear and non-linear.

デジタルメディアのフォーマット
「Linear Native」について研究。

テーマは”リニアとノンリニアのニュートラル”